「介護保険と同胞社会の未来」(前編)
−制度施行1年を迎えて−
金昌範(キム・チャンボム)
●はじめに
多くの不満を残したまま出発した介護保健制度は、当事者、とりわけ在日同胞高齢者から大きな距離と難問を残したまま現在に至っている。
しかし一方で、大阪府下だけでも同胞高齢者が18,000人を越えている(府下同胞人口の11%)いるように、日々高齢化する同胞社会の中で、介護保健に対する関心も高まりつつある。
日本の植民地時代以降、差別と不条理の中にあって、次代を産み育ててきた同胞高齢者に対するケアは、日本の責任であるとともに、同胞社会自身が担うべき課題でもある。
この約1年の経過を振り返ると、それらの課題が達成されるには、まだ相当な作業を経なければならないというのが率直な実感である。
読者のみなさんとともに問題意識を共有し、ともに問題点を克服したいという思いからこの1年の経過を簡略に整理したい。
●制度と同胞との距離
欧米の福祉先進国を先例とし、画期的な福祉モデルとなるはずであった介護保健制度に対して、いまだ多くの問題点や改善策が提起されている。それは利用者、特に従来高齢者福祉サービスに接することのなかった、人々の側に立った視点や配慮を欠いたため、制度と利用者層との間に距離をつくったことに一つの原因がある。
昨年10月に始まった第1号被保険者(65歳以上)からの保険料徴収が、規定の半額徴収であるにも拘わらず、窓口に苦情が殺到したのは、そうした制度と利用者の距離を如実に表したものである。ましてや、福祉を含めた社会保健全般から、常に「カヤの外」に置かれてきた同胞高齢者にとっては、その距離感や経済的な負担感は一層強く重いものだろう。
大阪府が96年4月、60歳以上の同胞を対象にしたアンケート(5.913人に郵送、うち有効回答982人)によると、ホームヘルプサ−ビスやデイサービス(日帰りの施設利用)を「利用している」が1.0%、「申し込み方法を知っている」が3.5%だったという。(有効回答者以外を含めると、これらの数字は更に小さくなると予想される)
介護保健の申請から利用に至るまでのややこしい手続きは、事業所やケアマネージャーが、利用者本人に代行するのがすでに通例となている。そうした事業所やケアマネとつながりのない利用者、特に同胞一世が「介護を受けたくても受ける術がない」ことは、上記の数字から見ても充分に想像し得ることである。
●同胞が物語る
介護保健制度の拡充をはかるうえで、利用者の経済的負担(感)をいかに軽減するかという課題は避けて通れない。
厚生省(当時)の調査によると、昨年の10月末段階で、要介護認定を受けた利用者が、そのサービス上限額に対して、実際に利用している額(利用率)は平均43.2%。その内訳を見ると、在宅介護の場合、最も利用の多い家事援助(全国平均の利用額約1.600円/時で、うち10%が利用者負担)が身体介護(同約4.200円)や、それらの中間の複合型(同約2.900円)をひき離しているという。また、ごく最近、全国の自治体に対してのアンケートでは、そうした在宅サービス利用率の低さの原因(複数回答)として最も多かったのが、「自己負担を気にして利用が抑制された」(62%)と出ている。(3月4日付朝日新聞)
いくばくかの年金を支えに生活する高齢者が、財布の中身と相談しながら病む体を我慢して生活する姿は、容易に想像し得る。では、その年金すら戦後日本の政治と法(国民年金法)ゆえ支給されない同胞高齢者が、社会のケアを受ける余地はどれほどあるのだろうか。
全国の自治体の一部では、経済的困窮者が介護保険を利用しやすくするため、保険料については273市町村(8.4%)使用料10%については387市町村(11.9%)で条例などによる独自の減免規定を設けている(昨年10月28日付日本経済新聞)。しかし、これらの措置も申告によって受けられるものだ。地域の民生委員とも縁が薄く、規定の存在すら知らない同胞高齢者は、ここでも不利な状況を背負ってしまう。
筆者は、介護支援事業体で勤務する関係上、利用希望者からの問い合わせに対して、出向いていく機会がしばしばある。その際、同胞希望者から「どんなサービスがあるのか」「手続きはややこしくないか」に次いで多いのが、「収入がない(もしくは少ない)が、サービスは受けられるのか」という相談である。
一知識を持ち、親身になって相談に答えられる同胞の存在が求められていることを切実に感じる。
●求められる同胞の担い手
事実、同胞の高齢者介護事業の担い手を求める同胞社会の声は潜在的に強い。
昨年9月、在日本朝鮮人医学協会と朝鮮総連の「同胞生活相談綜合センター」が、全国で行ったアンケート調査(回答者1.445人)では、次のような数字が示されている。
Q:家族の誰かに介護が必要になったら、どこで生活させたいか。
A:自宅51.5%・同胞の施設27.5%・どちらでも良い17.8%・日本人の施設3.2%
Q:前問で「自宅」とした場合、他人の援助を受けさせたいか。
A:家族だけで34.9%・同胞のヘルパーを頼みたい37.6%・日本人のヘルパー2.3%・どちらでも頼みたい20.7%
ここでは「家族が面倒を見ないのは恥」とする独特の家族主義的傾向が、依然として強い。しかし一方で、同胞社会も親子別居世帯、いわゆる「核家族化」が一層進行しつつあり、身内だけで親を介護するのは客観的にも無理が生じつつある。高齢者介護のための同胞の担い手を求める声は、今後、ますます浮上するであろう。
また、そうした声を先取りするように、制度施行を皮切りに、高齢者介護に乗り出した同胞主体の事業所(もちろん、それに所属する日本人従事者も主体的に担っているが)も生まれつつある。
筆者の知るところ、今年2月現在で、大阪府下に同胞主体とした在宅介護専門事業所が7ヶ所存在する(東大阪市・生野区・平野区・阿倍野区・都島区など)。それらは、前述のサービス利用の実態のように、当初から苦戦を強いられてきたが、利用者数、サービスの幅ともに、日々拡大しつつある事業所が存在する。その拡大のきっかけの大半は、地域の団体・個人からの紹介及び利用者自身を通じた「くちコミ」によるものである。「介護ビジネス」と世間一般で表現されるようなマーケティング手法とは違い、地域に根ざし、徹底してことの重要性を物語る実例がある。また、そうした観点と行動は、既存の民族団体にも一層求められるであろう。
前述のように、朝鮮総連では昨年末、「同胞生活綜合センター」を全国展開させ、福祉をはじめとした同胞の生活相談を受けている。また韓国民団も各地の支部に、介護保健相談窓口を設ける一方で、婦人会大阪府本部では、ヘルパー養成講座も開設して人材育成を行いつつある。民団支部独自のものとしては、和泉市で、4年来デイサービスセンターを運営し、地域同胞に貢献している例もある。
しかし、全般としては、同胞高齢者の要求をそのまま担いうる「受け皿」であり、推進母体である事業所の存在が余りにも不足している。今後は、事業所の拡充と人材の育成を並行して促進する、より積極的な施策を講じてほしいところである。
●前編のまとめ
ほかにも、現行介護保健制度と仕組みには、多くの改善すべき点がある。そのうち要介護認定の問題(利用者の求めている認定より低い)及び事業所やケアマネージャーの抱える膨大な事務処理量の問題については、認定にかかわる第1次判定のコンピューターソフトの変更及び被保険者証のICカード化など、技術面での改善によって、ある程度の緩和は見込める。しかし、先に述べたサービス利用料などの問題や、施設入所に伴なう大きな自己負担の問題など、特に無年金者の多い同胞高齢者にとって克服し切れない課題も多い。(年金問題については、出きるだけ近い時期に、別途本紙で詳しく述べたい)。
介護保健の問題は、同胞にとってはつまるところ社会保障の問題であり、戦後補償問題でもある。そして、その問題解決のためには、特に同胞社会の次代を担う者たちが、同胞高齢者の背負ってきた歴史を再認識し、その実態に接近することが一層求められている。
同胞高齢者が、余生を幸福かつ有意義に生きることのできる社会―それは言いかえれば、同胞高齢者がどこに暮らそうとも、社会、とりわけ同胞社会が暖かく包むことのできる社会だといえよう。また、その実現は、同胞の次世代にとっても様々な意味で、大きな財産となり得ることを確信している。