デイハウス 「さらんばん」(東大阪市)
 鄭貴美さんインタビュー

 編:「さらんばん」開設に至るまでの経過を教えてください。
 鄭:「さらんばん」は「ウリソダン」のメンバーが設立の準備を担ってきました。「ウリソダン」は東大阪市立長栄・太平寺両夜間中学で卒業を余儀なくされた一世のハルモニ(おばあさん)たちの学びの場です。1994年に卒業年限が厳しく指導されるようになり、ハルモニたちはやむなく卒業させられたのですが、その後もなんとか学ぶ場を確保しようと学校の理科室で自主的に授業を続けたのです。講師は全員ボランテイアで地域の民族講師や心ある日本人教師がそれぞれの現場を終え、ハルモニたちの前に立っていました。でも高齢のハルモニたちに理科室の冷たくて硬い椅子は苦痛で、また全く予算の無い中での活動は限界がありました。そこで「ウリソダン運営委員会」を結成し、行政交渉を重ねる中で、現在の専用教室やわずかな予算をかちとることができたのです。

 夜間中学で学ぶ多くは一世のハルモニたちです。もちろん、朝鮮人であるがゆえに女であるがゆえに「文字」を奪われながらも、さまざまな辛苦をくぐり抜けて、ここ夜間中学にたどり着いた人たちです。文字にあこがれ、恨の文字をとり返そうと来る日も来る日も仕事と学校を往復したといいます。

 「ウリソダン」は決して夜間中学の延長ではなく「文字」を取り戻したハルモニたちが「文字」や「学び」を武器に、今度はこの日本社会で朝鮮人の歴史を語る新たな闘いの場所なのかもしれません。私たちは「学ぶ人に学ぶウリソダン」と呼んでいますが、そんな思いから名づけられたのでしょう。

 「さらんばん」の話しが出たのはちょうど介護保検の導入が決まり、ウリソダンで事前学習会をしていた頃です。「知れば知るほど、結局ウチらは自分の身は自分で守れ言うことやな!」と溜め息混じりの声が、ハルモニたちの口々から聞こえてきました。ウリソダンを始めて8年が過ぎ60・70代のハルモニたちが70・80代となり、電車やバスを乗り継ぎ、また歩くよりはましだと言いながら自転車を走らせてウリソダンに来られます。そんなハルモニたちも昼間は退屈で時計とにらめっこ(ウリソダンは6時〜8時、その始まる時間を待っている)したり、銭湯で2〜3時間話し相手を探しているというんです。独居の人も多く、また家族がいても昼間は一人のことが多いようです。そこでウリソダンに集う自立したハルモニたちのための制度『街角デイハウス』事業を始めようということになったのです。

 編:「さらんばん」の活動について紹介して下さい。
 鄭:昨年10月開所。あっという間に6ヶ月が過ぎようとしています。毎日10人〜15人位来られます。火曜日から金曜日午後2時から5時30分まで活動し、金曜日は昼食があるのですが、早い人は午前11時に来て「今日のご飯はな〜に?」とにぎやかな一日がスタートします。

 現在、食事ボランテイアに二世のオモニ(お母さん)たちが、朝鮮料理にうるさいハルモニたちを相手に奮闘されています。毎月第2水曜日は、ホームドクターが来所され、健康相談をして頂いています。またパッチワークの先生の指導を受けてペンケースも作りました。このお二人も地域に住む二世で、私たちの主旨を聞きスタッフを快諾頂きました。その他、誕生日会やノレ(歌)指導もありました。

 先月「旧正のつどい」には20人を超えるハルモニたちが参加しました。前日からそば粉を炊いて手作りムウの準備をしました。82歳のハルモニが中心になり下ごしらえをし、翌日見事なムウが出来あがりました。素晴らしく美味で感動ものでしたよ。その日は時間を延長して民謡とオッケチュム(舞踊)で大いに盛り上がりましたね。とにかく笑いの絶えない「さらんばん」です。

 編:開設までに、どのような苦労がありましたか?
 鄭:まず場所の確保ですね。残念ながら行政の補助金をとれないままスタートとなり、すべて「ウリソダン運営委員会」の持ち出しでした。安くて便利で広い所という条件でしたからとっても見つかりません。ウリソダン基金も設けてカンパ活動もしましたが、とっても厳しく限界がありましたね。次年度まで待とうという意見もありましたが、ハルモニたちにはあまり時間がありません。一日でも早くという要望を聞きながら何度も不動産屋に通いました。結局、運営委員長の知人の空き家を破格の料金で借りることができました。

 運営委員が複数(9人)いて、多少の意見の相違は否めず足踏み状態が続いたこともありました。何せやればやるほど赤字覚悟の事業を始めるのですから、順風満帆のスタートには程遠いものだったんじゃないでしょうか。資金が無いというのがやっぱり最大の難関でしたね。

 編:開設されて以降、新たに発見したことや、意外だったことについて聞かせてください。
 鄭: 新たな発見というわけではありませんが、二・三世たちの思いに何度も励まされましたね。とにかく何も無いところから始めるのですから、それこそスプーンやお茶碗から揃えなくてはなりません。ハルモニたち自身が持ち寄って生活に必要なものを集めましたが、多くの同胞に協力して頂いたことは嬉しいかぎりです。私は介護保険を通じて多くの同胞に出会える機会があり、常々「私たち二・三世はもっと同胞社会に貢献しましょう。一世が残してくれたこの社会で、今度は私たちが一世に何を残すのか考えなくては」と訴えてきました。でも「さらんばん」を作り上げる過程で知りました。二・三世は思いを、どこに届けようかと手探りしていたんですね。心を届ける場所を探していたんですね。食事ボランテイアに名乗り出てくれたオモニたち、自営の鉄工所でガス台や台所の火の回りを作ってくれたアボジ(お父さん)、内職をして得たお金をすべて注ぎ込み、厨房を整えてくれたオモニ。私は「金のあるものは金、力のあるものは力、智恵のあるものは知恵を」この言葉が今も生き続けていることに身震いするような喜びを経験しました。

 編:開設されて出会ったハルモニを紹介して下さい。
 鄭:開設以降5人のハルモニが増えました。「さらんばん」の噂を聞いて探してきたというハルモニは来る度に、イカフェやチヂミを持参されるんですね。長い間一人で住んでいるらしく「ここに来たら家族がいっぱい、美味しく食べてくれるから嬉しい」きっと大家族を支えてきて、その頃の暖かいひとときを「さらんばん」で見つけたのでしょう。

 孫に送迎されて来られるハルモニは今年84歳。来られた頃はいつも一人で、隅っこに座り返事をする以外の会話がなかったのです。ところが「旧正のつどい」が過ぎた頃からでしょうか、ふと気がつくと、大きな声で話されていたんですよ。先日、1月15日には、持ちきれないばかりのヨモギ餅を作ってこられました。みんなに配りながら、昔の武勇伝(これぐらいの餅を作るのは朝飯前、といった内容)に花が咲いたようでした。

 そうですね、5歳は若返ったように見えます。杖が無ければ外出できない78歳のハルモニはいつも病院の帰りに「さらんばん」に来られるのですが、「ここは注射よりよう効くで」と豪快に笑います。

 編:最後に読者に訴えたいことを、述べてください。
 鄭:「さらんばん」に集うハルモニたちの大半は、夜ウリソダンにも通います。私たちはハルモニたちの貴重な「生」の時間を最大限活かせることを願っています。ウリソダンが夜間中学の理科室を間借りしていた頃から、自分たちの場所がほしい「ソダン会館」を作りたいとハルモニたちは言っていました。この「さらんばん」には、そんな思いも込められています。

 この日本社会で誰にも遠慮しないで、自分の歴史や恨を語り笑い、そしてしっかり刻むことのできるる場所を創造しているのです。私たちがしなければならないことは「さらんばん」や「ウリソダン」でハルモニたちを守ることではありません。「文字」や「学び」を力にした、ハルモニたちを同胞社会に、日本社会に返していくことだと思っています。なぜならば、ハルモニたちの存在が、かけがえのない財産だから…

 編:ありがとうございました